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ゆっくりと泊まれる場所

 

 

月刊ブリコラージュ 2002・2月号

『たった一人で始めた「あんき」』 


「私は気が短いから、勝負が早いのが好きなんです」と中矢暁美さんはいう。残された時間が限られている老人のケアの世界も勝負が早い。 だから自分に合っているのかもしれないと最近になって感じている。

難ケースではない!

 平成9年、愛媛県初の託老所「あんき」を開いた中矢さんは、もともとは小児科の看護婦だった。いったん子育てに専念をして、一段落したころ、ホームヘルパーという仕事があることを知った。看護婦の資格がある自分にぴったりじゃないかと思って知り合いに相談してみると、ある人の紹介で松山市のヘルパーになることができた。

 ヘルパー時代に中矢さんは忘れられない出来事がある。三好春樹さんとの出会いだ。たまたま三好さんの講座のちらしを目にして、開催地の広島に出かけた。そこでヘルパーたちが「難ケース」と呼んでいるお年寄りのことを三好さんは「個性が煮詰まっている人」と表現していた。「難ケースは、難ケースの人という対応しか、私たちはしてこなかった。でもそれをこの人の個性だという見方をしたら、働きかけがまったく逆になってくるじゃないですか」。本当に目からウロコだった。

 「自分が歳をとったとき、私たちが難ケースと呼ばれている年寄りになるかもしれない。難ケースといっているけれど、実はその人たちは自分たちの生き方を主張しているだけで、難ケースとみること自体が間違っているのではないか」。三好の講演を聞いた後、当時ヘルパーの班長をしていた中矢さんは、班員たちにこう話した。そうすると班員たちはどんどん変わっていった。後に知的障害者施設で働くために中矢さんがヘルパーを辞めた後、班員たちもほとんど職場を去っていった。最近そのなかの1人が、 訪問介護の仕事を立ち上げている。

私には向いていない?

 次に働くことになった知的障害者施設では、知的障害の人たちとどんなふうにコミュニケーションをとるか、とても勉強になったという。 しかし、15歳で入園した子が自立できるまで援助するという仕事は「短気」な中矢さんにはきつかった。園で働き始めたのが40歳過ぎ、定年まで20年はある。その期間を継続的に援助できる自信がない、これは私に向いていないと悟った。

特養で働く――あやこさんとの出会い

 その後、ある特養から、改革してもいいからこないかと誘われ、ラッキーと思って飛びついた。決められた時間ごとにおむつを替えたり、お茶を飲ませたりするのではなく、お年寄りのためにはどうしたらいいかと考え、オムツはずしを寮母と協力して始めたり、嚥下障害のある人には、柔らかさをゼラチンで3段階に変えたジュース、紅茶、ポカリスウェットと、好みの飲み物を栄養士に頼んでつくってもらったりした。お年寄りの誕生日には赤飯やお刺身のワンパターンのメニューではなくて、本人に何が食べたいか尋ね、それがカップラーメンであっても、本人の今食べたいものを出した。

 この施設で、中矢さんは「私の師匠」と呼ぶことになる痴呆症のあやこさんと出会った。ある日、褥瘡の処置をするときに、あやこさんに「お年寄りの身体を支えてくれんかな」と頼んだ。あやこさんは支えながら、そのお年寄りの顔をのぞきこんで、「おまえ痛くないか?」と声をかけた。ふだんなら次から次へと、流れ作業のように処置していた中矢さんは、ハッとした。私たちスタッフにいちばん欠けているのはこれだと気づかされた。

 以降、中矢さんはどこに行くにも、助手としてあやこさんと一緒に仕事をした。あやこさんのできることをしてもらうことを重点的に考えた。そうするとあやこさんは落ち着く時間が多くなり、家族もびっくりした。

 しかし、スタッフと協力していろいろな工夫や試行を繰り返しているにもかかわらず、お年寄りがぼんやりしてきてしまうことを、中矢さんは気にかけるようになった。なぜだろうか?

「自分が歳をとったら、入りたいと思う施設じゃろうか? 私の親も入れたいと思える施設でなければいけない。もしもそういう施設でなかったら、働いている私は税金からお給料もらって、人をだましているということではないかなぁと思った」。

100万円捨てたと思ってやってみよう

 中矢さんは特養で働いているときから、託老所を開こうかどうしようかと、いっぱい、いっぱい悩んでいた。そんなころボランティア仲間の建設会社の社長が、開設にあたっての試算をしてくれて、言った。「あんた何を悩んどるん。100万円捨てたと思えばあんたの夢は叶えられるんだよ。託老所がしたい、したいと言いながら死んでいくのと、やりたいことをやって勝負してそれで失敗するのと、どっちを選ぶの?失敗しても中矢さんは手に職があるからまた働けるよ。中矢さんが松山市で託老所を開いて失敗したって、誰も何も感じんかもね」。

 そういわれて中矢さんも納得した。「私一人でやるんだから誰にも迷惑はかからんよね。自分のお金が減るだけよね。だったらいいかぁ。なんで私こんなに悩んどったんだろ」。

 社長のひと言で、腹を決め、築100年の一軒家を月4万円で借りて、平成9年3月10日に託老所「あんき」を開所した。建物の改修は先の建設会社の社長が材料費だけで引き受けてくれた。ボランティア仲間たちは廃屋状態の家の掃除をかってでてくれた。

 最初のころは開店休業状態。それもそうである。近所のデイサービスに1日500円の昼食代だけもってお年寄りが出かけていた時代に1日 3500円の利用料をとっていた。「『よそでは1日500円で行けるのに、3500円もとって、あんきはぼったくりじゃあ』っていう噂がいっぱい流れました。でも介護保険が始まると3500円の価値がわかるからね、といってじっと我慢してました」。そんな時、三好春樹さんが「あんき応援セミナー」を開いてくれたりしてホッと息がつけました。

介護保険が始まって

 平成12年から介護保険が始まると、利用するお年寄りも増え、財政的にはゆとりがでてきた。はじめはなにからなにまで中矢さん1人でこなしてきていたが、今ではスタッフが5人ほどいる。最近ではユニットケアをしている老健のスタッフの研修も引き受けている。研修に参加したある人が、興味深いことを話してくれた。 「『あんき』のお年寄りはご飯を食べ終わった後、『食った、食った!』という顔をするんです。うちの施設はどうだろうかと考えさせられました」。

 「あんき」では毎日の食事のメニューを決めることはしていない。ある日は昼食に煮魚を出そうと思っていたが、近所の漁師さんが「とれたてだから年寄りに食わせの」と、刺身を20人前くらいもってきてくれて、急遽メニュー変更。刺身、目赤いもの煮付、蛸(これも漁師さんからのいただきもの)とわけぎ(近所の人が「とうが立ちそうだから早く食べて」ともってきてくれた)のぬた和えになった。カロリー計算も大切だけど、新鮮なもの、季節のものを食べるほうが元気になれるのではないかと思っている。ふつうの暮らしのできる託老所がしたかったと中矢さんはいう。だからバリアフリーという考えも建物には取り入れられていない。築100年の家だから敷居は高いし、室内いたるところにでこぼこがある。こうした段差を1度意識していただかかなくてはいけない、というのが乱暴ではあるが中矢さんの主張だ。玄関の高い敷居をまたぐ――ささいなことでも、それが生活リハビリになる。

泊まるための一軒家

 最近、中矢さんは新しいことを始めた。「あんき」の近くに別の一軒家を借りて、お年寄りが泊まる場所をつくったのである。わざわざ泊まるためだけに借りるなんてもったいない話ではある。しかし、 泊まっていた場所から、外に出て「あんき」まで通い、場面を変えることが生活のリズムをつくる。

 実はこの場所で生きがいデイサービスを始めたいと思い、申請をしたが、「あんき」には社会福祉法人格がないからと、認可されなかった。介護保険下では法人格は必要になってくる。介護保険実施前、いっしょにNPO法人格をとろうと誘ってくれた団体があったが、断った。「もし『あんき』がつぶれてしまったら、私が頼んで引き受けてくれた理事の人たちが責任をとらなければいけない。それは私としてあまりにも心苦しいことです」。

たった一人で始めた理由

 「あんき」を始めるときも中矢さん一人だった。その理由をこう語る。「2人で始めたなら、介護に対する考え方に少しずつずれがでてくると思った。介護とはそういうものだと思う。たとえば私があるお年寄りに『嚥下のリハビリをしたい』と思っても、いっしょに立ち上げた人が、『いやそうではなく、足のリハビリが大切だ』という。このずれが何年か経って大きくなるのがこわいんです。それが悩みのタネになると、お年寄りのことに頭がいかなくなってしまう。私の頭の容量ではちょっとそれは無理かなと」。大変だけど、お年寄りのことを第一に考えたいから、中矢さんはたった一人で始める道を選んだ。

悶々とした毎日を過ごすよりも

 託老所をこれから始めたい人たちへのアドバイスを尋ねてみた。「結果よりもどういう過程をやってきたかが大事だと思います。よい結果がでたらいいし、人間のすることだから悪い結果もあるじゃないですか。悶々とした毎日を送るより、まず1歩踏み出してみて、問題点が出てきたところで、また考えてもいいんです。始めたい人はまずやってみてください」。

 病院、ホームヘルパー、障害者施設、特養と、 働いてきた場所で吸収できることは、すべて自分のものにした集大成が託老所「あんき」である。今では愛媛にも5つの託老所ができるまでになった。自分の老後のために一人で始めた中矢さんの活動は、他の人たちをも勇気づけている。



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