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愛媛新聞 1997・6・17〜6・21( 5回 )

『あんきにいく -- 小さな福祉の試み(松山) --』


ここで過ごす ・・・・ 料理に散歩、孫の相手も

 黒々とした天井の梁(はり)が立派な、大きな民家の玄関口。「こんにちは」と声を掛ける。中からいそいそと村木和代さん(73)=仮名=が出迎えてくれた。

「まあ、初めまして」。頭が床につくほど丁寧にお辞儀する。もう三度も会っているとは思えない、恥ずかしそうな笑顔で。いつもきれいに髪をとかし、上品なブラウスとスカートを着て、きちんと背筋を伸ばして歩く村木さんは、三年ほど前から重度の痴ほう症になった。五分前のことも覚えていないし、感情のコントロールがうまくできず、台所から包丁を持ち出して来ることさえある。

 いろんな病院を転々としたが、どこも長続きしなかった。そして三月末から、週の半分はここ、松山市西垣生町の託老所「あんき」に通い始めた。 「あんき」にはもう一人、石谷秀子さん(64)がほほ毎日やってくる。石谷さんはパーキンソン病で、体を動かすのもやっとという感じ。快活な村木さんとほ好対照で、食事や散歩が済むとさっさとべッドに横になり、静かに目を閉じている。この二人を預かる「あんき」の女主人が中矢暁美さん(50)だ。

「村木さん、悪いけどパパッとニンジン千切りにしてや」 「石谷さん、せっかく起きたんじゃけん、ちょっと屈伸してみよや。動かんかったら固まってしまうよ」・・・中矢さんの明るい声が、広い家に響かない日はない。そして一日中、二人から目を離すこともない。「できることは全部やってもらうんよ」と、何かにつけ用事を頼む。二人にとっては結構忙しく、でもどこかゆったりとした時間が流れていく。

 石谷さんは、運動を兼ねて一日三回、近所を散歩する。きれい好きな村木さんが一緒の時は、近くの神社の境内をすっかり掃除してしまう。昼食の準備は、村木さんと中矢さんの担当。 中矢さんが「次はタマネギね」「少し味が薄いと思うけど、どうかな」と話しかけながら、村木さんに極力任せている。しょっちゅう「あれ? このタマネギで何を作るんですか」となるが、手つきは慣れたもの。あっという間に、煮干しでダシをとった具だくさんのみそ汁とご飯、ハンバーグ、煮物といった家庭の昧が出来上がる。

「あんき」が一層にぎやかになるのは、中矢さんの子供と小さな孫がやってくる時。 「おばあちゃん、絵本読んで」「紙ふうせん、作って」。かわいい声でねだられると、村木さんも満面の笑みになる。童謡を歌ってあげたり、「よくできたねえ」とそっと頭をなでてあげたり。その表情を見ていると、ふと病気のことなど忘れそうになった。

「たとえ障害になっても痴ほうになっても、住み慣れた家で暮らしたい」というお年寄りとその家族のために、一時的にお年寄りを預かって介護する託老所「あんき」が3月10日、オープンした。老いや介護を考える手がかりを求めて「あんき」に通ってみた。

自分も死ねる ・・・・ 普通の生活が出来る場所

「どんなお年寄りも、当たり前に自分らしく、普通の生活を続けられる場所。そして、自分もここなら入りたい、ここなら死ねるという場所。そういう場所にしたかったんですよ」。託老所「あんき」を独力で開設した中矢暁美さんは、コーヒーカップを手に、部屋を見回した。

古い民家がぎっしり立ち並ぶ一角。車一台がやっと通れる道を入ると、中矢さんの家から歩いてすぐの所に、何年も空き家だった大きな木造の家がある。「えっ、まさかここ?」・・・小さな手作りの看板がなければたぶんだれも気付かない。 机や棚、じゅうたんは粗大・ゴミ置き場で拾って来たし、食器は近所の人や友人が持ち寄ってくれた。

「私一人じゃ、何にもできんかったですよ」 もともと看護婦だった中矢さんは、14、5年前から松山市社会福祉協議会のへルパーとして活動。次第に「大きな施設にも利点はある。でも一人ひとりに合わせたきめ細かいケアは、小人数じゃないと難しいのでは」との思いが強くなった。例えば、入浴も実際に介護される側になって体験してみたが「大勢に見られると怖いんですよ。ゆっくり時間をかけたくても、スケジュールに縛られるし…」。悩んだ末に「結局、私ならどうされたいか、を考えたんです」

 託老所の開設に特別な資格はいらない。 「だれでもやれますよ。必要なのは気持ちだけ」。 「あんき」にいる間、楽しく過ごしてもらう、それが中矢さんの唯一のモットー。 「来たい時に来ればいい。何でもありなんです、ウチは」。県内ではおそらく初めての試みで、多くの人が続々と見学に訪れている。この日、来ていたのは東宇和郡宇和町のへルパー佐藤薫さん(44)。「すごく家庭的な雰囲気ですね」と目を丸くした。

 佐藤さんは以前、施設でまる一日寝ていただけの人を担当し、何もしていないのにすごくお礼を言われたことがある。「何でかなと思ったら、畳の部屋で眠れてうれしかったって」。その時、介護される側の望むことは人それぞれで、する側の考えを押しつけてはダメだ、と悟ったという。中矢さんに勧められ、一緒に昼食をとった佐藤さんは「病院や施設はあくまで治療の場。死について考えるのはタブー。でも在宅なら、避けて通れない問題として、本音で語り合える。あんきのような場所はとても大切ですね」と言葉をつないだ。

 そんな会話をしている部屋の隅っこで、石谷秀子さん(仮名)が静かに眠っている。石谷さんには、勝手に病院をハシゴして、薬を飲み過ぎてしまうという悪いくせがある。つい先日も睡眠薬六日分をいっぺんに飲んで、もうろうとして立てなくなり、娘さんが泣きながら連れて来た。

 よろよろとやって来た石谷さんはぽつりと言った。「もう、死んでもかまんのよ」。中矢さんは逃げずにこう応じる。「そら、 死ねたらええわい。でも、そんな簡単には死ねんよ。 自分が苦しいだけじゃけん、薬飲み過ぎるのはやめようや、なあ」。こっくりと、石屋さんがうなずいた。

他人がみる ・・・・ 身内ゆえの難しさも

「もうそろそろ、迎えが来るんじゃないですか」「うん、1時には来るって連絡があったよ」。5分たって「あれ、迎えはいつ来るんでしょう」 「ああ、1時半ごろよ」。また10分して「今日は何時に迎えが来るんでしようね」 「え〜っと、1時45分ごろじゃわい」。

 村木和代さん(仮名)は「あんき」にいる間中、中矢暁美さんに問い続ける。中矢さんは、少しずつ時間を延ばしながら、何10回でも答え続ける。 重度の痴ほう症の村木さんが「あんき」に通い始めたころは、やっばり中矢さんも途方に暮れた。気になり始めると、いらいらしてパニックに陥る村木ざんをなだめるために、家に10回以上も電話をしたこともある。でもそのうちにコツをつかみ、かわすすべを身につけた。

 中矢さんのさりげない受け答えと、全く普通に振る舞う村木さんを見て、つい「もうすっかりよくなったんだな」思っていた。しかし、そうではないと分かったのは、村木さんの家族の一人を訪ねた時だった。「私らには、全く信じられないんですよ。彼女が穏やかだなんて…」。
確かに「あんき」に通い始めてから、見違えるように落ち着いてはきた。しがし今でも家では理性を失って、物を投げたり「死んでやる」と暴れることもあるという。「せっかく『あんき』でよくしてもらって、いい状態で帰って来るのに、家で引き継げない。分かっているのに、家族はどうしても、中矢さんのように彼女に接することができないんです」

 村木さんの夫は、村木さんの痴ほうを心のどこかで認められないのか、まともに理屈で対応してしまう。村木さんは「あんき」でも度々、 「私はまだ文学校に通ってて、結婚もしてません」と言い張る。
"他人" である中矢さんは「そうよね」と聞けるが、夫は「何を言うとんぞ、とうに結婚しとろが」と躍起になり、証拠として結婚写真を見せる。と、どうするか。納得できない村木さんは、つじつまを合わせるために証拠を隠してしまうのだ。そして、また騒ぎになる。

 家族に請われて、中矢さんは一度、村木さんの自宅を訪れ、どんな風に「あんき」で接しているか、家庭でどうしてほしいかをアドバイスした。「私も信じられなかった。村木さんが、家ではあんなにいらだってんいるなんて」と中矢さん。
家族は「残念ながら、母よりも周りの方が不安定になってしまっている。中矢さんには気の済むまで泣き言を聞いてもらったりして、まさに家族をひっくるめてケアしてもらってる状況。いくら感謝しても足りないです」と嘆息した。

 よく「親を他人に任せるなんて」と人は言う。だが、家族は時として近すぎるのかもしれない。その人のいい時を知っていて、愛情と憎悪が交錯し、冷静に対処できない。
中矢さんは語る。「家族抜きの介護なんて絶対にあり得ない。と同時に、家族だけの介護はとても苦しい。他人だからこそできることがあると思うんです」。

お互いに支える ・・・・ 死に責任持ち前向きに

 どんな時でも元気はつらつ、笑顔を絶やさない中矢暁美さん。周りから見ると"福祉の達人"に思える。でも中矢さんは言う。「毎日、何やってんだろって悩んで泣いて、『あんき』に来る人に助けてもらって生きてるんですよ」

 中矢さんにも両親がいる。今は兄弟の所で暮らしているが、痴ほうの症状も出始めて、将来のことも考えるべき状況になりつつある。 いっそ「あんき」に連れて来て、パートの人に来てもらって面倒をみようかとも考えたが、もう少し家族で話し合ってみようと思いとどまった。「私なんか、こういう仕事してても自分や自分の家族のことさえ面倒みきれない。情けないですよねえ」

「あんき」の経営もきちんと成り立っているとは言い難い。年金生活の人も安心して来れるようにと、1日の利用料(おやつ、食事付き)を3,500円とあきれるほど安く設定してしまったから、収入は家賃や電気代など必要経費程度にしかならない。開設時にかかった諸経費数十万円はもちろん持ち出しのうえ、中矢さんの給料もゼロ。「やりたい仕事がやれて、赤字が増えなきゃ御の字です」と笑うが、近所の人の差し入れや友人らの寄付に頼る部分も少なくない。

 中矢さんは、賛助会員として応援してくれている人たちへの恩返しの意味も込めて、もう少し落ち着いたら「あんき」から積極的にいろんなことを発信していきたいと考えている。例えば、7月6日(平成9年)午後7時から、近くの今出の海と夕陽を眺めた後、「あんき」にかがり火と和ろうそくをともし、琴と尺八の演奏を聴く企画を立てた。
「多くの人に気軽に来てもらいたい。近所の人は来てくれるだけでいいのに、『おでん持っていくわ』とか言ってくれて、また甘えてしまうんやけど」。いずれ会報も発行し、もっと「あんき」を知ってもらい、語り合う仲間を増やしたいと思っている。

「あんき」で朗らかに話す村木和代さん(仮名)の声に耳を傾けながら、中矢さんは「私の師匠は彼女ですよ」とつぶやく。よくも悪くも、教科書では学べない介護の現実を痛感させられるし、何より村木さんは物知りだから、文字通りいろんなことを教えられる。昔の歌、料理のコツ、女学校時代の話…。
村木さんはたぶん、彼女なりに懸命に73年の人生を生きてきた。どうして今、重度の痴ほうになって、ここにいるのだろう。話を聞くにつけ、やり場のない思いにとらわれる。そしてふと、自分の将来を想像する。

 これまでは、個人も社会も、死や老後を真剣に考え、準備することに積極的ではなかった。だから、村木さんたちを責めることはできない。でもこれからの時代は、自分が愛した家族が、自分のことで悩み、苦しまずにすむように、自分の死に責任を持つことが本当の自立なんだと思う。
「私も、自分が痴ほうになったらこうしてほしいという希望を、文書かテープで残そうと思ってるんですよ」。中矢さんの言葉は、前向きに生きることにつながっている。その姿勢は、「あんき」で得た一番大切なものでもある。

自然に暮らす ・・・・ 気長に楽しく着実に

 開け放しの玄関から、大きな声が聞こえる。
「こんにちは、おいしいお菓子もろたけん、来たよ」。その後ろからまた声がする。「営業の外回りの途中なんやけど、元気?」。 「あんき」にはいろんな人が、好き勝手にやってくる。「うちは、だれでも大歓迎よ」と中矢暁美さんが片目をつぶる。

 "常連"さんの一人、近所に住む中矢ツユ子さん(70)は、べッドに横になっている石谷秀子さん(仮名)をそっとのぞき込んで「調子ほどんな?」と呼びかける。石谷さんは「しんどい、はよ寝たい」と元気がない。と、ツユ子さんは「何言うてるの、自分が苦労するんやで。私より若いんじゃけん、頑張らんとダメやろ」とちょっと怒ってみせる。よっこらしょっと、石谷さんが起き上がって屈伸を始める。

「私は、ただ遊びに来てしゃべって帰るだけ。何の役にも立たないけど、楽しいからね」とツユ子さん。「石谷さんがにっこり笑ってくれたりしたら、うれしくてまた来ようと思うんよねえ」。そういえば「あんき」を訪れる人はみんな、不思議とくつろいで長居をしていく。ほんの顔見せのつもりが、お茶を飲んで、ついでにご飯も、となる。そして何となく楽しい気分で帰途に着く。 「あんき」はそういう場所だ。

「あんき」では、昼食がいくら遅い時間になってもいいし、しんどかったら散歩もリハビリもしなくていい。石谷さんは、実は大のたばこ好きで、日に20本は軽く吸う。手元を見ているといかにも危なっかしいが、中矢さんは平気。 「昨日も灰を落としてカーぺットを焦がしたけど、ま、カーぺットだけだから」。
ちゃんと気を付けてさえいれば、お年寄りがしてはいけないことなどない。 「よく転倒防止とかで動けないようにしちゃうけど、私らだって転ぶでしょ?」

 毎週土曜日にボランティアとして来ている松山医療福祉専門学校の二年生垂水こずえさん(19)が、一番びっくりしたのもその点だった。 「通所者が怒られていないし、しなければいけないことが決まっていない。すごくいいなあと思いました」。
手作りのパンを抱えてやってきて、にこにこしながら中矢さんの手助けをする。 「来ると楽しいから、暇を見つけてもっと来たい」とはにかむ垂水さんは、将来「あんき」のような、自然な生活を大切にする福祉の仕事に携わりたいと心を決めている。

 ゆくゆくは、お年寄りが互いに助け合い、いたわり合うグループホームのような家にしたい、というのが中矢さんの願い。
「その時は、もちろん私も入りますよ」。
それまで気長に楽しく、でも着実にやっていきたいと思っている。

 ここ「あんき」の名は、気楽さを意味する「安気」に、方言ののんびりした語感を込めて名付けられた。中矢さんの笑顔を見ていると「あんきにいこう」と肩をたたかれているような気がする。けれども、あんきに生きることが特別なことでなくなるように、変えていかなければならないことはまだまだたくさんあるとも思う。
社会の中にも、家の中にも、一人ひとりの心の中にも。 (文化部・早瀬昌美)



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